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西近江しんぶんロゴ 大津市坂本・總本山西教寺 4月5日より善光寺如来の御開帳
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250年ぶりに御開帳となる善光寺如来立像 地図
[交通メモ] 日吉大社前を北へ約2キロ。
京阪坂本駅から江若バスで西教寺行き約10分。
 大津市坂本5丁目にある天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)総本山西教寺(さいきょうじ)で、今月5日から本堂脇本尊の秘仏とされてきた善光寺一光三尊分身如来(いっこうさんぞんぶんしんにょらい)が250年ぶりに開帳され、盛大な法要が営まれる。昨年の長野県善光寺法要と同じく宗派を超えた参拝となる。
 西教寺と長野県の浄土宗大本山善光寺との関係は、西教寺の中興の祖である真盛上人(しんせいしょうにん)(1443−1495年)が、天台宗の戒門(仏教の規律を守ること)と、浄土教の称門(しょうもん)(南無阿弥陀仏と称(となえ)ること)の戒称二門を説いたことに起因する。
 西教寺は聖徳太子によって創建されたが、後に比叡山横川の元三大師や恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)が仏教の念仏道場としたところ。その後、荒廃していたのを室町時代の末の文明18年(1486)、延暦寺で20年間の修業を積んだ真盛上人が入寺して戒称二門の教えで天台真盛宗の基礎を築き上げた。
 称名念仏を説いた真盛上人は、交友のあった長野県の善光寺を再三訪れ、この時に善光寺如来仏の一光三尊分身如来立像を譲り受けたと寺伝に記録されている。
 一光(舟形の光背こうはい)三尊(中央の阿弥陀如来と両脇に観音(かんのん)菩薩と勢至(せいし)菩薩)の善光寺分身如来像は高さ約50センチで、本堂の向かって右側の脇陣に秘仏として収められていた。記録では、真盛上人の250回忌法要が営まれた時に開扉(かいひ)されたとあるので、500回忌から4年後の現在、254年ぶりの御開帳ということになる。
 御開帳法要は今月5日から5月10日までの45日間の日程で営まれ、天台真盛宗の400余りの末寺から二万戸の檀家をはじめ、長野県善光寺と同様、宗派を超えての信徒が参拝する。
 なかでも法華千部絵(ほっけせんぶえ)の中日法要にあたる6日午後1時からは総門前を出発して本堂に入る僧侶、御詠歌講、楽人のお練りが行われ、大勢の参拝者でにぎわう。(1998年4月号掲載)


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